みすけろうブログ

親近者の精神疾患が多いので、メンタル問題を書いてみる

#6.骨肉腫という骨の癌で、杖で生活していた女の子と同棲するに至るまで。パート2

近親者メンタルこじらせ男の6回目の投稿です。

前回はバンドを始めてついにガチなファンが現れたという内容です。

今回はその続き。

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 避けられてると思っていたが実は…

さて、そうして割とプライベートでは音楽漬けな生活をしていたところでしたが、同じバンドもメンバーが掛け持ちしているバンドのライブを観に行くことがあったんですよ。

その時も、その杖をついた子もたまたま別な人の繋がりで観にきていました。

目が合ったので、軽く頭を下げただけって感じの対応をしましたが。

打ち上げありのライブだったんだけど、かなり前に一緒にお酒を飲んだことがある男性ががこれまた、たまたまその場にいてね。

その人としばらく酒を飲みながら話し込んでいたんだけど、なんかその男性と杖の子が知り合いらしく、私たちの中に入るようにその男性に話かけてきました。

しかし、この子きっと俺のことキライなんだよな~…と思いながら様子を見ていると、彼女がおもむろにこちらの方にクルッと向きだし、いきなり堰を切ったように「ファンなんです!!!」と言い放ちました!

こっちもまさかの展開で驚いてしまい、勢いに押された感じで、「あっ、ありがとうございます…」と返すと、その子は顔を赤くし、手で覆いながらうつむいたままでした。

かなりモジモジしてましたが、普段はそんなキャラじゃないらしく、男勝りでサバサバした性格らしいことを男性がイジりながら話しています。

すごい緊張している様子でしたが、時間が経つにつれ、少しづつ会話ができるようになっていきます。

そして私は以前からメンタル強化修行をやっていて、そのことはリサーチ済みらしく、山ごもりの体験などを聞いてきました。(山ごもりについては別に記事立てして語ります)

本当に興味津々で、終始前のめりで聞いていました。

そして、彼女の話も初めて聞くことになりますが、その子も唄い手さんらしく、バンドとかには入ってないが、たまに知り合いのギターの人と喫茶店とかでほそぼそと歌ったりしているようです。

正直、その時は「へ〜」としか思わなかったけどね。

ここで彼女が5つ年上だということもわかります。私24、彼女29歳。

もうちょっと若く見えた。そして杖の原因は骨折やケガではなさそう。

そして、一緒にいた男性と私とで連絡先の交換をする流れとなったのですが、その男性が軽いノリで杖の子に「連絡先交換してもらえばいいっしょ〜!」って言ったんですね。

私も「ああ、ぜんぜんいいですよ!」と返したんですが、「そんな…恐れ多くて…」と後ろに下がりながら、ひたすら恐縮されるのですよ。

その男性もなんのスイッチが入ったのか、ひたすら連絡先交換をその子に強く勧めます。

私もこのやりとりがめんどくさくなって、「いいかげん交換しましょうか!」みたいなことを言って、数度の駆け引きのあと、ようやく連絡先の交換となりました。

その後も男性は悪ノリで、「ここまで来たら、付き合っちゃえばいいのに!」と言い出すもんだから、その子は声も出ない感じになってました。

さて、その場はお開きになりまして、私は別な人と朝までお酒を飲んで、家で昼過ぎまで寝ていたわけです。

肉食系女子。。

そして目覚めたすぐ後に着信が。

まさかの昨日の子でした。

オイオイ!昨日あんなに恐縮しといて、最初は当たり障りのないメールが普通なんじゃないのかい!?いきなり電話とは想定外だぜ!と思いながら、電話に出ました。

何を話したかよく覚えてませんが、いかにファンであるかを熱く語っていただいた気がします。

しかしこっちは二日酔い。

途中からちょっと話長くない!?と思って話していましたが、ぜんぜん終わり見えない…。

結局、電話はかかってきてから2時間は会話が続いてました。

ちょっとこっちはグッタリ…。

そしてその話の中で、3日後に居酒屋に一緒に行きましょうというお誘いまで受けました。

展開が早い!昨日までの恐縮っぷりは何だったんだ!

ちょっとこえーぞ!

すっかりペースは彼女のものに…。

その時は毎日電話来るのでは?という恐怖にただただ怯えていました。

もうホントにビックリですよ!

以前の様子も思いだしつつ、そういえば避けてたように見えてたのは緊張のあまりそっけない態度に見えてたってことか!?って思考を巡らしながらも、私のような異端児でも趣味思考にビッタリハマる人はいるようで、嬉しかったのはもちろんですが、何よりもその本気ぶりに驚きました。

別にルックスがいいわけでもないし、どちらかというと、バンド内でのピエロ的な役割を自認しており、変わった格好してアグレッシブな演奏する、さらし者的立ち位置でいたので、まさかここまでのファンが!と思ってね。

嬉しかったですけどね。

#5.骨肉腫という骨の癌で、杖で生活していた女の子と同棲するに至るまで。パート1

近親者メンタルこじらせ男の5回目の投稿です。

最終的に看取ることとなる彼女との出会い編ですが、かなり長くなりそうなので、章立てしていきます。

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もともと人気あったバンドにラッキーにも加入できてしまった

さて、独学から楽器を始め、ひょんなことからバンド加盟することになりましたが、誘っていただいたバンドはもともと地元のアマチュア系では結構人気あったらしい。

まあ、知らないよね。その界隈の人たちとは付き合いがなかったし。

ふつう、自分なんかがって思うところなんだろうけど、逆にド下手くそなのにラッキーって思ってました。

トーナメント戦でシードになったみたいな。

RPGでいきなりレベル20くらいから始められたみたいな。

新参者でいわゆる高校デビュー的な立ち位置だったため、バンドがスーツ系だったけど徐々にイキって自分だけが殺し屋みたいになっていったな〜。

だって楽器が小さくて地味なんだもん。

遠目から見るとなんの楽器演奏してるかわからないと思う。

というわけで、最初はポケットに入れたりしてたけど、初期の頃はできる曲数も少ないし、パートのない曲なんかはステージ上で手持ち無沙汰なんですよ。

どちらかというと肩幅広くて顔もデカイので、ただ突っ立ってるのが惨めだった(笑)。

そこで、仁王立ちでも底しれない存在感を放って、目立つようなアイテムを身に着けようと思ったんです。

楽器収納用の入れ物が欲しかったけど無かったので革細工を始める

前に自分の好きなブルースマンがカッコいい革製の楽器収納ホルダーしてるのDVDで観たことあって、それをネットで一生懸命探したんだけど無かったのね。

まあ、一点ものだろうと思ったので期待はしてませんでしたが。

だけどどうしても欲しい!なら作っちゃえということで、革細工を始める用のキットを買っちゃったんですよ。

まあ、小学生の頃からフェルトで綿入れて縫ってキャラクター作ったりしてたから、全然抵抗無かったのね。

もともと裁縫が得意だったってのもあって、また親が建築業ということもあり、設計図を書いて、型どおり切って、縫い穴をトンカチで開けて針で縫っていくという作業が妙に自分にハマったね。

没頭すれば寝るのも飯を食うのも忘れるタイプで、2メートルの革の手縫いによる縫い合わせも苦にならず、6日間かけてお望みのものを作ることが出来ました。

おそらくこの手のホルダーを日本で着けてる人は私しかいなかったと思う。

そっからですね。

一気に存在感を増したのは。

それはもう、ランボーのように肩にかける薬莢ベルトみたいなものでした。

それでスーツなもんだから、一気に殺し屋感が出て、どんどんエスカレートして、クロコダイルダンディと同じ、ワニの爪があしらわれたテンガロンハットをかぶって、大きめのサングラス装着するという、二十歳にしてベテランマフィアの風格だったと思います。

シカゴタイプライター持ってるような人って感じ。

そのためか、実年齢に見られることはなく、基本30代に見られることが多かった。

ちなみにルックスがいいわけではないのね。

ほんと中の中って感じ?

まあ、そのくらいの派手な格好は都会だと履いて捨てるほどいるんだろうけど、こちとら田舎だからね。

ちょっと変わった格好すればすぐ噂になるし、すぐ広まる。

それを利用したってのもあるんだけど。

この頃は大衆の意識を操作するということに興味を持っての行動かも!?

「コータロー罷り通る」の影響かなあ!?(笑)

そんなんで、自分を目出せるための大型の革製品作りもエスカレートしていって、最後にはダイナマイトを全身に巻いた自爆テロリストのように見えなくもない見た目になっていました。

公務員の反動かな!?

それがロックだと思ってたし。

私自身、演奏力はそんなに良くはないと思ってたけど、非日常を体感したくてライヴを見に来てくれた人が増えた印象です。

シドビシャスかよw

とは言っても、うちのバンドは実は女性がボーカルで、そこの人気が圧倒的で、来てくれる人はほぼみんなそれ目当てで来てるんだけどね。

恰好が変なため、バンド内での立ち位置はイロモノ担当なのにファンが!?

しかしそこそこ私もお客さんに声をかけられたりするようになってきたのね。

そして彼女の登場!といきたいところだけど、彼女が私のバンドのライブをたまたま初めて観たときは、私の事をなんか変わった人いるな〜。くらいで思ってたらしい。

そのときに私に話しかけたらしく、派手な革の楽器収納ケースに興味があったようで、「それどこで売ってるんですか?」って聞いてきたのがファーストコンタクトらしいんだが、まったく覚えておらず。

そして自分で作ってるってのを話したら「スゲー!」って言って、その時はそれだけって感じ。

その後、何日かして友人の企画ライブに行く機会があり、その頃はだいぶ革製品作りもノリに乗ってって、エルビス・プレスリーのジャンプスーツについてる幅12cmはある、ぶっといベルトなんかも作ったりしてて、そのベルトみんなに見てほしくて白いスーツ来て、ど派手な花柄シャツで、デカイサングラスかけて、ど派手なベルトをつけて行ったわけですよ。

もうみんな2度見って感じでね。

下手したら出演者より注目浴びてたかも。

なんかおばちゃんに握手求められたりもしたな〜(笑)

そこには先程の、私のライブをみて興味持ってくれた女の子も来ていて、私を見つけるなり友人に「ナニ!?あの人!?」と、カミナリにでも打たれたような反応を示したようです。

周りの人が私のことを前に見たバンドの人と教えてくれたらしく、その瞬間彼女は、「出演者でもないのにあんな派手な格好してる〜!!!」「私服もあんななの!?ありえない!!カッコイイ!!ステキ!!!」と騒ぎ始めたそうです。

それがキッカケでガチなファンが形成されたらしく、その後の私のバンドのライブにはほぼ来ていたようです。そして私はその事実を知りません。

そしてその子はいつも肘から覆うタイプの杖をついていていたのでよく目立つ。

「あっ。また来てるな〜」くらいにはわかる感じでありました。

だけど私目当てで来てるとはぜんぜん知らず、ライブ後にボーカルに話しかけてるのをたまに見たので、単純にボーカル目当てで来てるんだろうな〜思ってました。

それにしてもその子は、私が近くにいてみんなで囲んで話をしてる時でも、全くこっちを向かず、背中の様子から私のことを意図的に避けてる様子にみれました。

その時は、「ああ、この子、俺みたいな人間嫌いなタイプなんだろうな〜」と思って特段こちらから接触はしないようにしていました。

その後も飲食店で知人と合う中にたまたまその子もいたりして、その時はやたらこっちをチラチラ見るので、嫌な感じだな〜。他の人とはハキハキと喋ってるのに俺にだけはひとことも話そうとしないので、存在が汚らわしいくらいに思われてんのかな〜?見世物じゃねえぞ!くらい言ってやりたい雰囲気でした。

結局8人ぐらいで円卓を囲んでる中でその子とだけは会話がありませんでした。だけどチラチラ見てくるし!言いたいことがあるならハッキリ言えよ!どうせ説教だろ!?くらいに思ってて、先にその子が帰ることになり、一応会釈くらいはしたんだけど、やたら満面の笑みで私に向かって手をふって帰ったので、杖もついてるし変な子なのかなとその時は思いました。

しかしなんで杖ついてるんだろう?

 

#4.趣味は一転して映画から音楽へ。最終的に看取ることとなった、ちょっとワケありなおっかけファンだった彼女との出会い。

近親者メンタルこじらせ男の4回目の投稿です。

マニアックな回が続いておりますが、映画から音楽に目覚め、20台前半はバンドマンでした。

最終的に看取ることとなる彼女との出会い編です。

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さて、すっかり男臭い昭和の男感満載のバックボーンを持つに至るティーンエイジャーだったわけですが、中学生から趣味だった映画鑑賞の中でブルースブラザーズという映画に出会い、一気に興味が音楽に持っていかれます。

あのグルーブ感というか、なんてカッコいい音楽なんだ!と単純に感動したわけです。

そんなわけで、19歳にしてブルースという音楽をどっぷり探求する人生の幕開けです。

他にもブルースブラザーズ主演の2人が出ていた「サタデーナイトライブ」のビデオを何本も借りてみたり、スピルバーグの「1941」では三船敏郎との共演もありで、興奮が収まらなかったり、「コーンヘッズ」など関連作品は観まくりました。

マイケル・ジャクソンの「スリラー」のあの有名なプロモーションビデオもブルースブラザーズの監督が撮ったという事実を知って、19歳にしてそこまで辿り着いた俺ってすげえ!と、イカれた境地に達して悦に至っていたところです(笑)

当時は仕事に就き、最初のボーナスで自分のパソコンを買ったばかり。

最初のインターネットサーフィンは過去のブルースマンのプロフィールなどを探る作業に使い倒しまくります!

ブルースに関係ある人のプロフィールを一人一人印刷して、100枚以上のオリジナル冊子を作り、持ち歩いてたかなりヤバいハマり方をしていました。

そんな中で、自分もブルースを始めたくなり、楽器を購入し、一人独学で夜な夜な練習していました。

半年くらいやってると、そこそこできるようになってきたのね。

友達数名にも知られるようになり、友達の結婚式の余興で披露するという場が与えられます。

その中の参加者に、結婚する友人の知人でバンドマンがいたらしく、後日その友人を通してバンド加入のお誘いが来たというわけです。

その後正式加入となり、楽器初めて半年程度でバンドマンとして人前で披露することになります。

と言っても最初は1曲だけの特別出演って感じだったけどね。

そしてその加入したバンドが、地元では結構知名度があったらしく、私自身、珍しい楽器使いだったこともあり、どんどん音楽関係の知人が増えてきました。

そのバンドに在席すること数年。

だんだん演奏技術も上がっていき、フロントマン的な立ち位置に。

屋外のイベントではステージから飛び出して走りながら演奏ということもしてました(笑)

目立つ風貌にしていたため、目を留めてくれる人も多数。

地元のお祭りなどにも呼ばれ、かなりライブ頻度は多かったと思います。

そんな中、複数名知り合いが来てくれたりする中の顔ぶれに、いつも杖をついている女の子の姿が。

来てくれた人とはけっこう普通に話したりするんですが、その子だけは他の子と近くに来るも、後ろに下がって何もしゃべらず黙って話を聞いている感じでした。

何回目かで、いつも来てもらっているので軽く会釈すると、今までのもじもじした感じとは裏腹に、「ファンです!!!」と突然の発言が飛び出しました…

#3.自分のメンタル耐性を身につけるきっかけとなったバックボーンを語るよ。【注意!】超マニアック!

近親者メンタルこじらせ男の3回目の投稿です。

この記事は自分が高校卒業までに影響を受けたカルチャーの話。

前回以上のマニアックな内容ですのでピンとこない人はスルーでお願いします。。

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今回はマニアック回です。ご容赦ください。

大きくは、黒澤明監督作品と、「男はつらいよ」シリーズにどっぷり使った高校生活を送るわけです。

そんな中で、もちろん高校生ですから漫画とかも見るわけですよ。

ビックコミックスピリッツは毎週買ってたな~!

いつの日か学校に漫画を持ち寄って友達と交換したりしていました。

授業中はほぼ隠れて漫画読んでました。先生に見つかって本で叩かれたこともw

そこで出会ったのが「サラリーマン金太郎」でしたね。

これおもしれー!ってなりました。ちょっとエロいしw

単行本も揃え始めました。そんな中で「サラリーマン金太郎」のコミックスの挿絵の中で、登場人物が「七人の侍」の恰好して書かれているのがありました。

作者の「本宮ひろ志」はもしかして黒澤明監督がバックボーンにあるのではないかと思い、「本宮ひろ志」の漫画を古本屋で探し、ついに黒澤明に関係するものを発見!

黒澤明監督デビュー作「姿三四郎」(富田恒雄:著)を「本宮ひろ志」がマンガ化しているではないですか!

昔の黒澤明監督の「姿三四郎」って音声の質が悪くて、セリフがよく聞こえないことがあるのね。

だけど、マンガの「姿三四郎」を見ながら映画を観るとセリフがスッと入ってくるのよ!

そんな感じで、またしてもどっぷりハマったジャンル、漫画家「本宮ひろ志」。同級生からはどんどん遠のく趣味を持ってしまう。

古本屋片っ端から探し回りました。「本宮ひろ志」ジャンプ草創期作品「男一匹ガキ大将」も全部集めましたよ。

そして、なんせ、映画では時代劇が好きだったので、「夢幻の如く」とか、「猛き黄金の国」シリーズとかは、読んでてもう身震いするほどのハマりよう。

「夢幻の如く」はスーパーファミコンソフトまで買った。

ちなみに、「天地を喰らう」もセガサターンでかなりやってたw

「俺の空」や「男気」シリーズとかもね。弟子の作品も追った。

多分「本宮ひろ志」作品の約8割は所持していると思う。

他にも好きな漫画家はいっぱいいるけどね。特にハマったのは「本宮ひろ志」というイカレた高校生でした。

「クローズ」の作品で知られる「高橋ヒロシ」作品も集めてた。

なんたってこの人!「男はつらいよ」マニアなんだもん!

コミックスでのはしがきでもよく、「男はつらいよ」のネタに触れてるし、たまに登場人物が寅さんのセリフとか使ったりして、「高橋ヒロシ!こいつはガチ勢だ!」と思って勝手に親近感を持ってました。

そんなわけで、もうほぼ映画と漫画漬けといっても過言ではない高校生活を送ってきたわけですが、卒業も迫り、進学?就職?となってくるわけです。

本当は母親の双極性障害というメンタル疾患のこともあり、やっぱり心理学とかに興味はあったのね。

心理学が学べる大学に行きたかったけど、その当時、建築業だったうちの家の仕事がだんだん少なくなって、経済的に結構厳しいって感じだったのね。

その時は「寅さん」かぶれだったので、「俺は渡世人になる!」って本気で思ってました。

歩いて日本一周とかマジで考えてました。

当然親からは怒られるわけですよ。

「なんでもいいから就職しろ!」と。

やりたいことないし、全国でも回るかと思ってたんですが、親が地元の役所の職員募集に勝手に申し込んでました。

1つくらいなんか受けとくか。どうせだめだろうけど。って感じ。

それがなぜか、一次試験の合格通知が来てしまうんだよ。

うちはコネありそうな親戚とかもいないし、あまり見えない力を発揮するようなことも無かったと思う。

そもそも、1次試験を通った人が募集人数と同じだったので特に2次試験も問題なく合格。

心理学系の本とか読んでいて、人の心わかった気になっていて、面接で人の心が読めるとか言ってたかも。

本当にただ何となく「役所の職員」になってしまった。

役所の人間の心がまえとかも皆無。

バイトもしたことない人間が高卒でいきなり就職。しかも公務員。

 まあ、あの頃は公務員もいろいろ緩かった時代だしね。パソコンも1人1台ではなかった。何とかやってましたw

#2.母の双極性障害はいったん落ち着き、洋画にはまる中学、古い日本映画にはまる”枯れた”高校時代を送る。

近親者メンタルこじらせ男の2回目の投稿です。

この記事は自分のバックボーンになった育成状況の説明。

映画興味ない人は全く面白くないことをご了承ください。

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さて、母のメンタルこじらせで強制入院となり、約一年後退院。

通院しやすいように少し都会よりに引っ越し、転校となりました。

洋画にはまった中学時代。

野球少年でしたが、うまくはなかったですね。補欠だったし。

何のきっかけかわかりませんが、すごく洋楽にはまっていた中学生でした。

ジュラシックパークとか、スターウオーズリメイクとか、ミッションインポッシブル、インデペンデンス・デイ、もののけ姫とかのころ。

なんか今改めてラインナップ見ると、その時代ってすごい映画のいい時代じゃない!?

だけど近くに映画館無くてね。

新作映画見るために、友達と20㎞離れた映画館に自転車で月に2回は通ってましたね。自転車で観に行った映画を、親と一緒にまた観に行くとかね。

映画館のおばちゃんと顔見知りになって、たまにグッズとかくれたのスゴイうれしかったな~!

家でもテレビで見たい映画があると、VHSに全部とっとくの。

中学生に印刷技術ないもんだから、VHSのタイトルを書くシールに手書きで映画タイトル書くんだけど、汚い字で残すの嫌だから、一文字ずつ明朝体になるように時間かけて作ってた。授業中に。

映画のVHSを増やすのが趣味だったな。コレクター精神はそこから始まってる。

その時はアクション系が好きでね。シルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ブルース・ウィリス、スティーブン・セガール、ニコラス・ケイジとかの出てる作品は見まくってたね。

卒業目前は学級委員長だったんだけど、みんなでタイムカプセル埋めようって日に、さぼって映画観に行ってた(笑)

高校時代はおとなしめ。邦画にはまる。

高校受験に失敗し、押さえで合格したスポーツのイメージが強い高校に。

部活はやってない。

おとなしい方だった。

高校まで20㎞はあるんだけど、毎日片道1時間かけて自転車で通ってた。

そして、学校帰りにビデオレンタルショップに寄るわけですよ。

その頃はもうすでに旧作100円だったので何個も借りれた!

割とメジャーな作品制覇したので、どんどん古いのに行くわけですよ。

アメリカンニューシネマとか、サイレントまで。

戦前生まれが選ぶ、映画100選みたいな本を持ってて、片っ端から見まくった。

その時は日本映画に興味なくて、むしろ日本人の映画なんてダセー!って思ってたくらい。

だけどその本で黒澤明監督の「七人の侍」が17位くらいにあるのね。

ちなみにその本での1位は、「天井桟敷の人々」2位は「第三の男」だったかな?「戦艦ポチョムキン」とかも高順位にいた。

監督ではミーハーだけどスタンリー・キューブリック監督が好きだったな。3時間とか長い作品を好んで観てた。ウイリアムワイラー監督の「ベン・ハー」とかも好き。

そんな長い作品を見慣れていたのもあって、長い作品である「七人の侍」(約3時間半)に興味をもって観てみたんですよ。

もう、ドはまりしたね!黒澤明スゲエ!志村喬スゲエ!三船敏郎スゲエ!宮口誠二かっけえ!

ちょうどその頃、BS放送で黒澤明作品全放送って企画があったのよ。

録画器が地上波チューナーしかなかったので、BSチューナー内蔵のビデオデッキをお年玉の残りはたいて買ったよね(笑)

もう全作品イッキ観!高校1年生にして(笑)

もうそこからは日本映画にはまってしまって、小津安二郎、成瀬巳喜男とか観てた。

もうそこからはとことんマニアックに行ってしまって、小津に影響を受けたヴィム・ヴェンダース監督、三船敏郎が出ていた「1941」とかまで手を出していました。

前記の映画100選の本で97位くらいだったかな?「ブルース・ブラザーズ」という映画も観たわけですが、そこから趣味の方向性が一気に変わって長編になりそうなのでそれは別のお話で。

とにかく、日本を代表する昔の映画監督作品はかなり観てて、もうその時代の俳優はほとんど顔と名前一致してたのね。

そこから満を持して、「男はつらいよ」の登場ですよ。

国民的映画~!?くだらん内容だろ!?低レベルなコメディなんだろ!?って先入観がありました。

しかし、よく調べるとそうそうたる俳優陣!

初期作品を観たわけですよ!もうね、笠智衆はいるし、志村喬も出てくるし、何より内容が面白い!渥美清から目が放せない!

4作品目のハワイに行ったふりするところとか、めっちゃくちゃ笑った!

やばい!中毒性ありすぎ!

しかも、通ってた大きいビデオレンタルショップには、なんと、前身のテレビドラマ版もあるではないですか!

佐藤 蛾次郎が相棒のやつ!蛇にかまれて死んじゃうやつ!

もうね、高校生でそこまで観てるって自分でもおかしいってのは十分わかってた。

全作品を見終わるのに1か月もかかってません!

休みの日は、朝から晩まで一日中「男はつらいよ」を観てて、結果6作品も観ていたということがある。

「みすけろう」の映画遍歴は次回も続きます!

#1.小学校高学年で母親が双極性障害Ⅰ型発症!父親のワンオペ育児で生活急変!?

さて、始まりました!連載第一回目!

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この記事の内容は、私が小学校高学年の時に母ちゃんが病んじゃったんだよ~!どうしよ~!という内容です。

うちは地方都市に近い、農村地帯で育ったんですよ。

小学校全学年で100人にも満たない、小さい学校に通ってました。

なぜか父は三男なのに、親の面倒をよく見てました。

そして祖父(父の父)が93歳で死去を機に、父が残された祖母の面倒を見るべく小4時に転校を経験します。

転校、そして母が勤めに出る。

引っ越し先は50㎞程度の近くだったけどね。

これまでも田舎だったけど、引っ越し先は超ド田舎。週末には元いたところの近くのスーパーに買い物に行くくらいの。その時は何とも思わなかったけど。

ほどなくして、3人兄弟の末っ子も小学校にあがり、母親に時間の余裕ができたのか、親戚の農家に働きに出ることになりました。

もともと粗暴な感じの親戚ではありましたが、のちに聞いた話では従業員みんなからの母に対する壮絶な言葉責めがあったようです。いじめ、いびりですね。

父親の親族なんで、母も父に何度か現状を訴えたらしいのだが、相手にしなかったらしい。今でもそのことは母の恨み節で聞かされる。

ちなみにその親戚の主犯格の癖の悪いチンピラみたいなオヤジは、のちに疾走。イカレてる人間だった模様。現在も行方知れず。

野菜出荷なんかの時に私もそのオヤジの運転する車に乗ったりしたけど、子供乗せて一般道で100キロ以上スピード出すヤツだった。

いびりに加担していた親戚のそのオヤジの妻もそのまま離婚となり、その後母に謝罪をしたらしい。

そして母が神になる。

なんか、「母ちゃん無双」って感じだった。

「私は今すごく頭がさえてる!」とか言い出すようになったのね。

「すごく頭がよくなったようだ!神が降りてきたんだ!」とか言ってんのね。

近所の人やママ友とかにも。

習い事をやっていたが、小6の卒業レクの時に、母が書いた自画自賛作文をみんなの前でオレが読むというカオスな環境に置かれた記憶がある。母は感極まって泣いていた。

常に激しい感情フルMAXですごく、すごく、恥ずかしかった。

同級生のお母さんたちは、おそらく今までとの違いに気づいてたけどそうとう気を使わせただろうね。

あんまり覚えてないんだけど、相当おかしかったんだろうね。

いつの日か私たち兄弟は、同級生の友達の家に泊まることになっていた。

2~3日だろうか。父だけが帰ってきて、母は入院したという。

その後は父が一生懸命メシ作ってた記憶だけだな~!

休みの日とかどうしてたんだろう。今思うと、当時の環境で3人の子供の父のワンオペ育児って考えられない。

オヤジ、よくやってたと思う。

母、鉄格子をガシャガシャいわす。

そして週一回は母の入院先の都会の病院に片道2時間はかけて行ってた。

最初は、獣のように怒り狂って「出せ!出せ!」と喚き散らしてたな。

まさに荒ぶる獣という感じだった。

病室は個室で鉄格子があったね。ここ病院?アルカトラズ?

診断は躁うつ病。今は双極性障害というらしい。

それにも段階があって、母は最高段位の「Ⅰ型」というやつ。

気分ハイパーMAXな躁(そう)状態と、テンションダダ下がりのうつ状態を定期的に繰り返す精神疾患です。

躁状態のときは眠くならないみたいで、夜中でもなんか活発に動いてる。体は疲れてるだろうし、性格はすごく攻撃的。自分は全知全能でっぶっ飛んでる。ものすごい長電話をする。物欲の制御が効かず、持ってる金は全部使う。常に感情が高ぶってて、泣きわめきながら罵倒してくる。

うつ状態は、もう全然動かない。倦怠感で一日中寝てるって感じ。

ほんとに真逆の精神状態を繰り返す、恐ろしい病気。

何回目かの訪問でだいぶおとなしくなってた。ろれつが回ってない感じ。薬効いてんだね。

1年くらいの入院だったのだろうか。躁状態とうつ状態を繰り返していたと思われる。落ち着いてきたのか、退院となる。

その後の通院が大変だったのか、結局祖母もうまく高齢者施設に入所でき、家族そろって前に住んでた街にトンボ帰り転校をすることに!

新築のアパートに移り住むことになってたはずなんだけど、学校に転校すると報告した後に、アパートの入居者決め抽選会があることが発覚!

何とか当たりくじを引いたので良かったが、転校スルスル詐欺になるところだったぜ!オヤジ~!(笑)